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大阪高等裁判所 平成5年(ネ)304号 判決

理由

第一  当裁判所も、当審における当事者双方の主張、立証を合わせ考えても、控訴人の被控訴人らに対する請求はいずれも理由がなく棄却すべきものと判断する。

その理由は、次のとおり付加等するほか、原判決理由説示のとおりであるから、これを引用する。

一  〔略〕

二  原判決五八枚目表六行目から同六三枚目表九行目までを次のとおり改める。

「四 指紋押なつ制度の適法性について

1  〔略〕

(一) 指紋押なつ制度の変遷について〔略〕

(二) 憲法一三条違反の主張について

(1) 指紋は、指先の紋様であり、それ自体では個人の私生活や人格、思想、信条、良心等個人の内心に関する情報となるものではないが、万人不同、終生不変の性質を有する身体的特徴であって、個人を識別する手段としては最も確実なものであるから、指紋を媒介とすることにより、個人を追跡することが可能になり、採取された指紋の利用方法次第では個人の私生活あるいはプライバシーが侵害される危険性がある。右のような指紋の特質に鑑みると、国民は、個人の私生活上の自由の一つとして、国家機関によってみだりに指紋押なつを強制されない自由を有するものというべきであり、右自由は、憲法一三条の保障する権利に含まれると解するのが相当である。

また、従来指紋が犯罪捜査に重要な役割を果してきたところから、指紋押なつを強制されることによって犯罪者扱いされたような屈辱感、不快感ないし被差別感を抱きがちであるから、みだりに指紋押なつを強制することは、個人の尊厳を傷つけるという意味においても、憲法一三条によって許されないものと解される。

そして、みだりに指紋押なつを強制されない自由は、権利の性質上日本国民のみを対象としているとは解されないから、外国人に対しても等しく保障されているものと解すべきである。

もっとも、憲法一三条で保障される権利も、公共の福祉の観点から一定の制約を受けることがあることは同条の規定自体から明らかであり、右のみだりに指紋押なつを強制されない自由についても、当時の指紋押なつ制度がその行政目的を達成するために必要かつ合理的な制度であって、その規制が右行政目的に照らして相当といえる場合には、正当な公共の福祉による制約として憲法一三条に適合するというべきである。なお、指紋の押なつを強制された場合に屈辱感、不快感ないし被差別感を抱きがちであることは前示のとおりであるが、前示のような指紋の特質や我が国においては文書作成の際に署名だけではなく伝統的に印鑑または指紋の押なつをする習慣があること等に鑑みれば、みだりに指紋押なつを強制されない自由の制限としては、正当な行政目的のため必要かつ合理的なものであれば足りると解するのが相当である。

(2) 外登法は、我が国に在留する外国人の登録を実施することにより、外国人の居住関係及び身分関係を明確ならしめて、在留外国人の公正な管理に資することを目的とする(同法一条)ものであるところ、外国人は身分事項が国民ほど明確ではなく、また一般的には我が国に在留する期間が短く、日本での係累が少ないなど我が国への密着性が乏しいため、その身分関係、居住関係を正確に把握するのが国民の場合ほど容易ではない。そのため、その把握の前提として、我が国に戸籍のない外国人が個別に正確に特定された上で登録され、現に在留する外国人と登録上の外国人との同一性が確認できることが必要であるところ、指紋押なつ制度は右の必要性に応えることを目的とするものである。ところで、指紋の利用は、最終的に専門的鑑識による絶対的な同一人性の確定を可能にするものであるところ、それによる個人の識別は比較的容易である反面正確な同一人性の確認には種々の難点がある写真を含めて、これに代替しうる有効適切な手段は見当たらない。したがって、右指紋押なつ制度の行政目的は正当なものというべきである。

(3) そこで次に、右指紋押なつ制度の必要性及び合理性について検討する。

指紋押なつ制度制定前後の事情として、次の事実は公知である。

〈1〉 昭和二二年五月二日、外国人登録令の施行により外国人登録制度が発足したが、外国人登録令のもとでは指紋押なつ制度はなく、人物の特定や同一人性の確認は主として写真によっていた。そして、当時は虚無人登録、二重登録等の不正登録が著しく多かった。その主たる動機は、当時の食糧事情を反映して、外国人登録と食糧配給が直結していたことを悪用した食糧の不正受配であり、これを横行させたのは、各市町村毎の登録であったこと、写真の提出を猶予して仮外国人登録証明書が発給されたこと、本人出頭主義の原則が実現されなかったこと等の当時の法制の不備であった。これらは、指紋押なつ制度の導入以前に、登録証明書と主要食糧配給通帳との照合作業の励行、登録の全国化(全国を通じた一連番号制の採用)、登録証明書の写真に浮出プレスを押すことにしたこと、仮登録証明書制度の廃止、切替制度の導入等の各種対策により相当大幅に減少してはいた。指紋押なつ制度もその対策の一つとして導入されたものであり、不正登録の防止に決定的な意義を持つものであった。

〈2〉 指紋押なつ制度が実施された昭和三〇年四月二七日から昭和四五年ころまでは、法務省において各市町村から送付を受けた指紋原紙の換値分類作業が行われ、その結果、昭和三三年から昭和三五年の間に五五件の不正登録が発見された。

〈3〉 その後、不正登録が減少したことから、昭和四五年以降は法務省における換値分類作業が中止され、昭和四九年からは、新親登録の場合を除いて指紋原紙への押なつが省略されたが、昭和五七年一〇月一日からは再び指紋原紙への押なつが復活した。

以上の事実によれば、指紋押なつ制度は、その導入当時には、不正登録の防止のため十分な必要性をもっていたというべきであるが、その後の社会情勢の変化の中で、その必要性が相対的に減じてきたことは否定できず、〈3〉で認定した法務省における取扱の変更はそのことを反映したものと考えられる。ところで、右〈3〉の点に関連して、控訴人は、自治体の窓口では指紋を用いた同一人性の確認は行っておらず、法務省においてもそれを行ってはいなかったものであって、指紋制度は不正登録の防止には役立っていないと主張し、〔証拠略〕によれば、昭和五四年一〇月から昭和五八年九月まで西宮市役所瓦木支所に勤務して外国人登録事務を担当していた小川雅由は、別事件の証人として、右主張にそう証言をしている。しかし、それは、一地方自治体支所における自己の実務経験と指紋押なつ制度に関心を抱いて調査研究をした結果の知見に基づくものであるが、自己の知り得た範囲の事実に対するその立場からの、憶測をも交えた解釈、評価を含むものであって、それによって右控訴人主張の合理性を支える一般的事実の全貌を把握することはできないところである。結局、右変更後の取扱によっても、ある個人と外国人登録上の人物との同一人性が個別に問題となったときにはこれを科学的、最終的に確定できるし、そのことが不正登録の抑止にも役立っていたと考えられる。そして、近年在留外国人数が顕著な増加を示し、これに伴って不法入国者の増加も新たな社会問題になっていることにも鑑みると、指紋押なつ制度の必要性はなお肯認すべきものというべきである。

また、本件指紋押なつ拒否当時の制度内容は、押なつ義務が五年に一度で、押なつ対象指紋も一指のみであり、その強制も刑罰による間接強制にとどまるものであって、精神的、肉体的に過度の苦痛を伴うものとまではいえないから、方法としても一般的に許容される限度を超えない相当なものであったというべきである。

(4) なお、控訴人は、平成四年改正法により、永住者及び特別永住者について指紋押なつ制度が廃止されたが、このことは、指紋押なつ制度が、外国人特定及び同一人性の確認の手段として、必要でもなく合理的でもなかったことを証明している旨主張する。

しかしながら、一般に、法律の改正は、立法府が、時の政治的、社会的情勢及び技術的、人的、予算的手当の可否等を総合判断した上、その政治的責任においてなすものであるから、その改正によって法律制度が改変されたからといって、それだけで直ちに旧制度がその必要性も合理性もなかったと判断されるべきものではない。しかも、平成四年改正法は、永住者及び特別永住者についてのみ指紋押なつ制度を廃止したに過ぎず、一般の在留外国人に対しては、改正後も指紋押なつ制度を維持しているのであるから、尚更である。

(5) よって、本件指紋押なつ拒否当時の指紋押なつ制度は、みだりに指紋押なつを強制されない自由に対し、正当な行政目的の為に必要かつ合理的な制限を加えたものというべきであるから、憲法一三条に違反するということはできない。

(三) 憲法一四条違反の主張について

法の下の平等を定めた憲法一四条は、特段の事情の認められない限り、外国人に対しても類推されるものと解すべきである。しかしながら、一般的に外国人は、国民と比較して我が国社会との密着性が乏しくかつ身分事項が明確でないから、その特定及び同一人性の確認のために、国民には要求しない指紋押なつを要求しても、それは一般社会観念上合理的な根拠に基づく不均等であるというべきであって、これをもって憲法一四条に違反するということはできない。

(四) 憲法三一条違反の主張について

指紋押なつ制度の目的が正当であり、その必要性と合理性を肯認できる以上、その目的達成のために指紋押なつ拒否者に対して刑罰をもって臨むことはやむを得ないところである。国民に対する住民基本台帳法違反や戸籍法違反の場合の制裁は過料にとどまるが、これらの法律は外国人登録法とは立法目的を異にし、その目的を達成するための違反行為の抑止の必要性も異にするものであるから、これをもって罪刑の均衡を失し、憲法三一条に違反するということはできない。」

三  同六三枚目表一〇行目から同裏五行目までを次のとおり改める。

「2 控訴人はまた、指紋押なつ制度はB規約二条一項、七条、二六条に違反すると主張するので、検討する。

(一)  B規約七条違反の主張について

〔中略〕

(4) 以上の諸点を総合して勘案すると、B規約七条にいう「品位を傷つける取扱い」とは、個人に対して肉体的又は精神的な苦痛を与える行為であって、その苦痛の程度が拷問や残虐な非人道的な取扱いと評価される程度には至っていないが、なお一定の程度に達していることを必要とするものと解せられる。そして、その「一定の程度」の解釈については、「品位を傷つける取扱いを受けない権利」に対しては、緊急事態においてすらいかなる制限も許されないことを考慮に入れる必要があり、右の「一定の程度」に達しているか否かの判断については、その取扱いを巡る諸般の事情を総合考慮して判断されるべきであると解される。

(5) そこで、本件指紋押なつ制度がB規約七条にいう「品位を傷つける取扱い」に該当するか否かを検討するに、指紋押なつ行為自体は肉体的にさほどの苦痛を与えるものではないし、本件指紋押なつ制度はこれを拒否する者に対して刑罰によって間接的に指紋押なつを強制しているが、直接強制は認めていない。押なつ者が精神的苦痛を受けることはあり得るが、これはわが国において指紋押なつを強制されるのが、外登法に基づく以外には刑事事件の被疑者だけであるという社会的事実があることから、指紋押なつを強制されることによって犯罪者と同列に扱われたとの屈辱感を生ぜしめることに基づくものであるとしても、被疑者の指紋は一〇指の回転指紋を採取するのに対し、本件指紋押なつ制度では一指の採取のみであって、その方法は明らかに異なること、わが国においては文書作成の際署名とともに印鑑又は指紋の押なつをする慣習があること及び本件指紋押なつ制度が前記のような正当な行政目的に基づくものであることを理解すれば、その精神的苦痛は相当程度減じるものと推測されること等の事情に鑑みると、本件指紋押なつ制度が押なつ者に与える精神的苦痛の程度は、右の「一定の程度」には達するものではないと判断され、本件指紋押なつ制度はB規約七条の「品位を傷つける取扱い」には該当しないものというべきである。

(二)  B規約二六条、二条一項違反の主張について

〔中略〕

(3) 以上を総合して勘案するに、本件指紋押なつ制度が、国籍に基づく区別であって、外国人が国民と対等の立場で人権と自由を享受することを妨げる効果を持つ以上、基準が合理的かつ客観的で、合法的な目的を達成する目的で行われたと認められない限り、本件指紋押なつ制度はB規約二六条に違反すると解される。

そして、前記のように、本件指紋押なつ制度は、身分関係及び居住関係を正確に把握する前提として、個々の外国人を正確に特定した上で登録し、現に在留する外国人と登録上の外国人との同一人性を確認できる態勢を整えることを目的とするものである。ところで、規約人権委員会も認めるように、国際慣習法上は、何人に入国、在留を認めるか、認める場合に如何なる条件を付するかは、その決定が不合理ないし個人の不可侵の権利を害するものである場合でない限り、基本的にその国の自由であると解されるところ、指紋押なつ制度の右目的が合理性を持つことは明らかであるから、その目的はB規約の下においても合法的なものというべきである。

また、前記のように、一般的に外国人は、国民と比較してわが国社会との密着性が乏しくかつ身分事項が明確でないから、その特定及び同一人性の確認のために、指紋押なつを要求する合理的な理由があること、指紋押なつ制度導入後は、他の諸施策とも相まって、二重登録や不正登録は大きく減少し、その後も指紋押なつ制度を維持することが、不正登録に対する抑止的効果を有していると考えられる等の事情に鑑みれば、外国人に対し国民と異なる取扱いをする基準として、合理的かつ客観的なものというべきである。

よって、本件指紋押なつ制度自体がB規約二六条、二条一項に違反すると解することはできない。

3 適用違憲の主張について

控訴人は、仮に指紋押なつ制度自体は憲法やB規約に違反しないとしても、控訴人は日本で生まれ育ち、いわゆる定住外国人として定職を持って妻子とともに家庭生活を営んでいたもので、その身分事項は明確であるから、控訴人に対して指紋押なつを強制することは、その限りで憲法一三条、一四条、三一条、B規約七条、二六条、二条一項に違反する旨主張する。

(一)  確かに、我が国に長年定住した実績があり、今後も定住の意思のあるいわゆる定住外国人は、我が国の社会の構成員として長年社会生活を積み重ねてきていて、居住関係、身分関係とも相当程度明確であり、一般の外国人とは違った考察が必要であると考えられる。とりわけ、平和条約国籍離脱者等は、昭和二〇年九月二日以前から我が国に在留し、日本国との平和条約が発効する以前は我が国の国民であった者あるいはその子孫であって、我が国の国籍を喪失した後も引き続き我が国での生活を続け、長年在留することによって生活の基盤を築いており、我が国社会への定着性は高い。事実、そのうちの多くの者が出生の届出、婚姻の届出、納税、運転免許の取得、印鑑登録並びに年金、健康保険及び雇用保険等の被保険者たる資格の取得等をしており、我が国内に家族、親戚、友人、知人等多数の関係者を有していることは、控訴人主張のとおりである。

(二)  ところで、指紋押なつ制度制定前後の事情等は、先に1の(二)の(3)で述べたとおりであるが、指紋押なつ制度施行時の在留外国人は大多数が平和条約国籍離脱者であり、先に述べた不正登録もまたその大部分が平和条約国籍離脱者によってなされたものと推測されるところである。また、指紋押なつ制度施行時は第二次世界大戦が終了してから日が浅く、平和条約国籍離脱者の我が国における生活基盤も一般には未だ確固たるものではなかったし、世界情勢とりわけ朝鮮半島情勢は混沌としていて、当時の在日朝鮮人、在日韓国人らの多くは祖国が統一されれば帰国したいとの希望を有していたと考えられる。これらの事情に照らせば、指紋押なつ制度の施行時において、平和条約国籍離脱者に対しても指紋押なつを強制したことが憲法の前記各条項に違反するとは考えられない。

(三)  その後長い年月が経過し、世界情勢の安定、我が国の社会、経済情勢の安定に伴い、平和条約国籍離脱者等は我が国において確固とした生活基盤を築き上げてきた。時の流れとともに世代の交替も進んで、二世、三世あるいは四世までも我が国で生まれ育ち、我が国での生活しか知らない世代が相当数にのぼるようになってきた。また、在留資格も、当初の「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基づく外務省関係諸命令の措置に関する法律」(昭和二七年法律第一二六号)二条六項による不安定なものから、「日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定」(昭和四〇年条約第二八号)、「日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定の実施に伴う出入国管理特別法」(昭和四〇年法律第一四六号)に基づく永住許可、「出入国管理及び難民認定法」二二条二項に基づく永住許可等によって、多くの者の在留資格が安定したものになった。韓国・朝鮮国籍を有する者で協定永住許可を受けた者は、昭和五九年末現在三五万人余で、中三四万人余が昭和四九年四月一日までにその許可を受けており、同じく出入国管理及び難民認定法四条一項一四号による永住許可を受けた者は、昭和五九年末現在二三万七〇〇〇人余で、その大部分は昭和五七年以後に、中一七万八〇〇〇人余が昭和五七年一年間に、その許可を受けている(公知の事実)。

(四)  しかしながら、外国人登録制度も次第に整備されて不正登録も大幅に減少したとはいえ、問題が残っていないわけではなく、現に、本件指紋押なつ拒否が行われた当時においても、未だに三〇数年間身分事項を偽って登録していたとして氏名、生年月日、本籍地等の身分事項の訂正を申し立てる例も相当数あり、また、戦前から居住する朝鮮半島出身者及びその子孫であっても、その親の身分関係が不明確な場合があり、現に親の氏名、本籍地が訂正された結果、その子の姓や本籍地、世帯主が訂正される例もまま見受けられるところである(〔証拠略〕)。

(五)  平成四年改正法に至るまでの指紋押なつ制度の変遷は、先に1の(一)で述べたとおりであり、右3の(二)ないし(四)で述べたところからすれば、その間、我が国に戸籍は存在しないけれども、定住外国人とりわけ平和条約国籍離脱者等の居住関係、身分関係は次第に明確となり、その程度は時の経過とともに高まってきていたということができ、これに対して指紋押なつの強制を続ける実質的な必要性は相対的に次第に乏しくなってきていたということができる。そして、平成四年法律第六六号による外登法の改正は、右3の(一)に述べたような事情を含む当時の諸事情を踏まえて、外登法の目的を達成するためにとるべき手段について、慎重な検討を加えた結果の総合的判断のもとに決定されたものであり、当時においては、既に定住外国人とりわけ平和条約国籍離脱者等は、我が国社会との有機的関連が強く、人的な情報源が我が国に豊富に存在すると考えられるところから、これらの者については、写真、署名及び家族事項の登録という新たな手段によっても、指紋押なつに代わり同一人性の確認を確実に行い得ると判断される状態になっていたものと考えられる。

(六)  しかし、昭和六二年法律第一〇二号による外登法の法改正の内容は先に述べたとおりであるが、既に述べてきたところに鑑みれば、その法改正の当時における諸事情のもとにおいて既に平成四年改正法と同様の改正をしてしかるべき諸条件が整っていたと解することはできず、平和条約国籍離脱者等の関係においても依然として同一人性確認のために指紋を利用する必要が存していたものと解されるのであり、もとより本件指紋押なつ制度についても同様に解されるのであって、これによる控訴人に対する指紋押なつの強制が違憲であるということはできない。

(七)  指紋押なつ制度がB規約七条、二六条等に違反するものではないことは、先に述べたとおりである。しかし、定住外国人とりわけ平和条約国籍離脱者等の居住関係及び身分開係が時の経過とともに明確化の程度を高め、これに対して指紋押なつを要求する実質的必要性が相対的に次第に乏しくなってきていたことも、先に述べたとおりである。それ故に、平和条約国籍離脱者等が国民に求められない指紋押なつを強制されることによって平和条約国籍離脱者等が抱く屈辱感、不快感、被差別感は、一般の外国人の場合よりも強いものがあると解されるから、その程度が、先に2の(一)で述べた「一定の程度」に達するといえるか否か、また、本件指紋押なつ制度が、平和条約国籍離脱者等に適用する限りで、国民と異なる取扱をする基準が合理的ではないと解すべきであるか否かについては別途検討する必要がある。

しかしながら、控訴人に対する本件指紋押なつの強制が違憲であるとはいえないことは先に説示したとおりであり、そこで述べたところに鑑みれば、本件指紋押なつ拒否の行われた時点で、それが右「一定の程度」に達していたと認めることもできず、また、本件指紋押なつ制度が平和条約国籍離脱者等に適用する限りで、国民と異なる取扱いをする基準が合理的でなかったと解することもできないところであるから、結局、本件指紋押なつ拒否当時に平和条約国籍離脱者等に強制する限りで指紋押なつ制度がB規約七条等に違反するということはできない。

以上の次第で、この点に関する控訴人の主張は採用することができない。」

四  〔略〕

五  同六九枚目表一〇行目の次に行を改めて次のとおり付加し、同一一行目の「3」を「4」と、同裏三行目、の「4」を「5」とそれぞれ改める。

「3 控訴人は、本件逮捕はB規約九条、七条、二六条に違反すると主張するので検討する。

〔証拠略〕によれば次の(一)、(二)のとおり認められる。

(一)  B規約九条はその一頁で「すべての者は、身体の自由及び安全についての権利を有する。何人も、恣意的に逮捕され又は抑留されない。何人も、法律で定める理由及び手続によらない限りその自由を奪われない。」と定めている。

(二)  規約人権委員会は、フーゴ・ヴァン・アルフェン対ネザーランド事件(一九八八年第三〇五号事件)における「見解」で、規約九条の起算過程を検討すると、「恣意的」ということは、「法律に反して」と同義ではなく、正義に反すること、相当性を欠くこと及び予測可能性を欠くことの三要素を含むものとしてもっと広く解釈されなければならない、合法的な逮捕に基づく抑留は単に合法的であるばかりでなくすべての状況の下において合理的なものでなければならない、とした上で、ある弁護士が依頼者と共に共犯容疑者とされ、捜査当局によって逮捕された後引き続き九週間以上抑留(うち五週間は接見禁止付き)されたところ、同弁護士が職業上の守秘義務を放棄することを拒否したことが抑留が長びいた主たる理由であったという事案につき、右事案では、締約国(ネザーランド)は、同弁護士の罪証隠滅や逃亡のおそれの現存を立証していなかったのみならず、同弁護士には国家が事件を立件することに協力する義務はなかったから、同弁護士を拘禁することは「恣意的」であるとした。

(三)  右「見解」は、罪証隠滅及び逃亡のおそれの立証もなく、かつ、弁護士の守秘義務が関係していたにも拘らず、弁護士に対して九週間以上の抑留がなされた事案に関するものであって、前記のとおり、逮捕の理由及び必要性があった控訴人に対する本件逮捕とは事案を異にするばかりでなく、本件逮捕の必要性についての前記認定の諸事情によれば、本件逮捕が合理性を欠く(正義に反し相当性を欠き予測可能性を欠く)と直ちにいうことはできないから、本件逮捕がB規約九条に違反する旨の控訴人の主張は理由がない。

また、前記認定のB規約七条、二六条の条文の趣旨に照らすときは、本件逮捕がB規約七条、二六条に違反するということもできない。」

六  同七三枚目表一一行目の次に行を改めて次のとおり付加する。

「5 控訴人は本件指紋採取はB規約七条、九条、二六条に違反すると主張するので検討するに、本件指紋採取に関しての前記認定の諸事情によれば、本件指紋採取の必要性がなかったとはいえず、指紋押なつ拒否という控訴人の信念を屈服させ、制圧させる意図ないし押なつ拒否運動への報復又は見せしめの意図が窺われるということもいえず、その採取方法が必要最少限度を超えた、比例の原則に反するということもいえないのであって、B規約七条の「品位を傷つける取扱い」に該当し同規約に違反するということはできないから、控訴人の主張は理由がない。

また、前記認定のB規約九条、二六条の条文の趣旨に照らすときは、本件指紋採取がB規約九条、二六条に違反するということもできない。」

七  同七三枚目裏五行目「するが、」の次に「右指紋票等は被控訴人らがそれぞれ所有権を有する公文書であるのみならず、」を付加する。

第二  よって、原判決は相当で、本件控訴はいずれも理由がないからこれを棄却し、民訴法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 富澤達 裁判官 古川正孝 三谷博司)

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